自分の抵抗
自分の小さな「箱」から脱出する方法
ビジネス書で、ビジネスではコミュニケーションが大切だという話。
自分の内に閉じこもった状態(箱に入っている状態)だと他人を自分に害をなす存在だと思い込んでしまう。
それでは建設的な議論もできないどころか、いずれお互いを嫌い合う敵になってしまう。でも同じ組織に所属しているので落ち着かない。
自分はこの本の中で、
箱から出る方法の一つとして、「抵抗しない」ことが紹介されている。
実は抵抗することが、しんどさを作り出している。
実は自分ひとりのときにも当てはまる。
例えば朝起きるとき、いつもの習慣で二度寝しようとしたけど、なんだかドキドキして寝れない。
本心では(なにもやることはなかったとしても)起きたかったのかもしれない。でも「いつもどおりのことをやるほうが疲れなくていいはずだ」とか「睡眠時間を貯めておかないと」などと頭で考えてしまっていたのではないでしょうか?
そのように「頭で考えたこと」でしんどくなってしまったことが実はこの本で言うところの「抵抗」なのだと、僕は考えました。
解決方法として、一つだけ紹介されており、それを深掘りしたり抽象化することで捉え方を変えているので、腑に落ちたものだけ取り入れたとしても最後にたどり着くところがおなじなので、最短で正しい道を歩めている安心感がある。
いくつものアイデアを紹介する形式ではないためやることを絞る手間がなくすぐ始められるし、結果を求めすぎるあまり同時並行でやろうとしてしんどくなってしまうこともない。
不幸なんて感じる必要ない!みんな結構幸せを感じてる。
自分は不幸だ。それでも将来、幸せになりたいから今は努力しよう。そう思って生きてきた。腹が立つことがあっても今耐えればきっといいことが起こると思っていた。
でも、自分が不幸を感じているときに近くにいる誰かは幸せを感じている。
多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。
色んなお金持ちの人の本を読んだし、努力して幸せを掴んだ人の話を聞いた。
そしたら辛い過去なんてなくても幸せは掴めるということがわかった。
辛い時期があったひとは、そのときの想いや理不尽への抵抗みたいなことを自身の事業やサービスで実現している。
そうではない人は最短で稼げる市場の大きなところに飛び込んでいる、という違いだけだった。
というか調べる必要もなかったんだということにも気づいた。
自分は学校でも家でも居場所がないように感じていたけど、周りの人にそういう人は少なかった。みんなそれぞれの置かれた場所を居場所だと感じていただろうし、そう思えるように無意識的かもしれないが行動してたんだと思う。
ただ自分には他人が怖いという思いや、初対面にせよそれなりに付き合いのある友人にせよ上手くコミュニケーションを取れないということがあっただけだ。
みんなそれぞれのやり方で幸せを感じている。自分が不幸を感じていても、その自分のすぐ隣には幸せを感じている人がいる。
何者かにならないと幸せを感じられないなんてことはなくて、今そのときに幸せを感じる方法はあるんだと伝えたい。
できない人は自分を追い込む、できる人は環境を変える
やるために自分を追い込んでもできないときがある。
こんなとき、やる気を出すために、終わったら○○やろうとか、自分にご褒美を用意してやる気を出すけどできないまま時間だけが過ぎていってしまう。
できる人はやるために環境を変える
できないときに環境を変えるのは、だめな自分にとっては逃げに写る
自分の恥ずかしいこと嫌なことを思い出して、自分の時間を過ごすことが怖い人へ
自分は、一人静かな時間を過ごしたり、集中してなにかに取り組みたいと思ったときに
いつもなんか怖くなって、結局騒がしいところへ出かけたり、運動したりしてしまう。本当はしたくないことを、本心を裏切ってやってしまい、結局充実感のない休日にしてしまう。
実際、集中しようと思って何かに取り組んでも、その最中に自分の嫌な思い出や恥ずかしい過去のことを思い出して、腹が立ったり顔がほてってしまうのを感じる。
でも、こんなことを乗り越えて集中・没頭できるようになりたいと思うので、その方法を考えてみた。
自分を俯瞰して見る。
例えば、自分の部屋で一人で本を読んでいる状況を考えてみる。自分は本を読みながら、過去の嫌なことを思い出して苛立っている。しかし、そもそもなぜ、そんな嫌なことを思い出しているのだろう、とこの文を読んで思われたのではないだろうか。
自分は、このとき真面目に嫌なことを思い出して、本当に嫌な気分になっているわけであるが、こんなふうに文章にして他人の目線になって読んでみると、まったく訳のわからない不合理な感情のせいで勝手に不幸になっていることがわかる。
さらに言えば、自室で静かに本を読んでいる状況というのは、とても知的で充実した人のようにも見えるかもしれない。
つまり、自分が自分に対して抱く悩みは、赤の他人はもちろん親しい友人から見ても、勝手に不幸になっているだけのことなんだと思う。
だから、暗い感情に襲われそうになったときには、文章にするなり、その状況の自分を俯瞰してみてみると冷静になれる。
主体的になるために、ケツに力を入れる
主体的になれない、
自分のことを母親が先に処理したり、自分の身に起こったときに母親が起こったり喜んだりされて、自分の人生の椅子に自分ではない人間が座っていて
自分の人生が自分の手を離れてしまったような、
自分と世界の間に膜が張っていて、素手で触れられないような感覚がある。
でも社会では、主体性を持てと言われてしまう。
確かに自分で行動を起こさないことには自分の居場所を作り出すこともできず、ますます少なくなってしまうように思う。だから、自分でなんとか役にたとう、価値のある人間でいようとするために、それと反する気持ちに鞭打って頑張ってきた。
でも、それでは不安な気持ちが強くなるだけで、行動のスピードも成長も遅いことに気が付いた。
根本的に解決するためには、自分の目の前にある膜を取り去って、世界に素手で触れることだ。
でも、自分は自分のために生きられるほどのスキルや度胸もないし、頼れる人もいない。ましてや食べるものを賄うだけの収入も、会社にしがみつかないと確保することができない。
そんな中で、インスタントに主体的な気持ちになれる方法を見つけた。
ケツにちからを入れる。
ケツを引き締めて、かかとを合わせる。
すると背筋が伸びて、あごが引かれる。
はたから見ると、すこし自信があって、多少のことで揺らがない芯の強いひとのよう。
こんな風に俯瞰してみることで、いまやっていることが他人のためではなく、この自分自身のためで、自分がやることで世界が動く、他者に影響を及ぼすことができるような感じがする。
この感覚こそが、自分と世界の間の膜を取り去ってくれる。
やろうと思ったらすぐやるとつらくない
やろうと思ってやらなかった。
午前中を漫画を読んで過ごしたら、夜になって取り返そうとしてすごくつらくなった。
具体的には、今やってる事業の新しい商品を作ろうずっと思っていたから、今日こそは作ろうと思っていた。ほかにも、メルカリで販売している商品をsnsで宣伝しようと思っていた。でも、なんとなくやりたくないと思ってやめてしまった。多分、自分がやろうとおもったことを、でもな、とやめてしまうのがクセづいていると思う。
そんなときに昨日途中まで読んだ漫画があったので、続きを読むことをしてしまった。確かにしたかったことの一つではあるし、それなりに楽しかった。でも本当にやりたかったのは、やっぱり自分の事業を前に進めることだったと思う。
どうしたら、気持ちに正直になれるのか、大変だけどほんとにやりたいことを優先し、簡単にすぐ楽しいと感じられるけどやりたい気持ちは薄いことをやめる決断をするためには、、、
つきつめれば、強い意志がないとできないようなことというのは、本当はやりたいと思っていなかったのではないだろうか。少なくとも実行に移すほどやりたいというポジティブなモチベーションはないと言える。
だとしたら、いったん立ち止まって、本当にやりたいこと、自分の事業にとってプラスになることを考えてみることが大事だと思う。
具体的には、自分はものづくりをするのは苦手なのに、それをやろうとしていた。でも、よくよく考えたら、それはやるにこしたことはないけど、そこまで有益なことではないと思う。それよりも今販売している商品の売り方を変えたり、ものづくりではなくプログラミングでできることがあると、考えたら思いつくことができた。
そんな感じで一度立ち止まって、考える時間をつくってみては!というお話でした。
それでは!
早く思い出しすぎるとつらくなる
早く思い出しすぎるとつらくなるという話をしたいと思う。
洗濯物をたたむとき、早く終わらせたいと思って
終わったあとのことを考える。
するとほかにもやらないといけないことを思い出して
洗濯物をたたむ作業に焦ってしまう。