ドキドキはやっぱりあんまりよくないよという話
今年に初めて車を購入して、7月とかは山へドライブに、川へ泳ぎに行ったりしていました。
そんな中迎えたお盆休み、キャンプもしてみようかなんて思いながら予定を立てていたのだけど、初日に実家に帰る用事ができてしまいました。
実家からは1日で戻ったのだけど、その日はいい天気でドライブ日和。
車に乗りたかったなあと不満に思いながら、お盆2日目、曇りになってしまいました。
でも、ドライブの楽しさを何とか味わいたいと思って車にのり山に向かいました。
運転してもあんまり楽しくない。このままでは一日が楽しくないまま終わってしまう。
そう思った僕はいろんな場所に行ってみることにしました。でも時間がないのでスピードを上げて走っていたとき、カーブを曲がり切れずに側壁に衝突して横転。車は廃車になってしまいました。
自分の怪我はたいしたことなかったものの、痛手になってしまいました。
楽しみを求めすぎるあまり焦って、危険な状態になってしまっていることがあります。
なのでやっぱりドキドキしている状態はよくないという話でした。
でもいいこともありました。その翌日から暇なお盆休みが始まり、何かやることを考えていた自分は、かねがね稼ぐためにやりたいと思っていたブログを始めることにしました。
どきどきしているときは、いったん落ち着いて、勇気をだしてこれまでのルーティンや楽しみにしていることをやめて、ほかのことを嫌々でもやってみるのもありかもしれません。
嫌なことを思い出したり想像したりするとき
他人が自分に危害を加えることを想像して、嫌な気持ちになっているとしたら、意識を自分に向けるために、目線に気を付けるといい。
具体的には、目線を自分の下方向にぐっと向ける。つま先を見るくらい。
そうして手足の感覚とかに意識を向けて、自分の体に集中するとほかの意識が入ってこなくていい。
これは目を開けていなくても有効。
いろいろ想像してしまうのは、お風呂だったり、寝るために布団に入ったときだと思う。自分が何もしていなくて、頭が情報を整理するために働きだすと、嫌な想像をしてしまう。そんなときも、目だけ下に向ければ大丈夫。
人の目を気にしてやりたいことができない
朝ご飯にこのパンが食べたいと思いついたけど、それを買っていないとき、
買いに行きたいけどまだシャワーを浴びていないし、寝ぐせすら直してないしな。
と思って結局買わずに家にあるもので済ましていることってありますよね。
これで納得できるときは問題ありません。
ただ、これを読んでいる方は、もやもやしてしまうのではないでしょうか。
別のものを食べたあとも、なんだかあのパンが忘れられずに、おやつに食べようか、それとも何かの用事で外出したついでに買って帰ろうかなど、想像を膨らませてしまって、もやもやしているのではないでしょうか。
そんなときは、やはり思いついたそのときに行動を起こすべきです。
実は、こういったもやもやは、朝の一度だけでなく昼も夜も様々な場面で起こっていて、その結果一日の終わりに疲れを感じてしまうのです。
そして、このもやもやの原因は他人の目を気にしていることなのです。
朝、パンを買いに出かけられなかった理由は、シャワーを浴びることや寝ぐせを直すことがめんどくさかったからですが、シャワーを浴びなくてもパンを買うことはできます。
ただ、店員さんに寝起きだということがばれるだけです。
自分のことをだらしない人だと思われたくないのは当然のことですし、僕も最終的にはそうであればいいと思っています。
でも、自分を裏切ることは、自分は大したことない人間だと自分に言い聞かせているようなものなので、一番自分をだらしない人間にさせてしまう呪いになってしまいます。何より大切なのは自分です。
だから、思いついたことを即実行してみてはいかがでしょうか。
比較するとつらくなる
日曜日の朝がつらいのは、
朝遅くに起きてしまったとき、何か焦ってしまうのは
本来あるべき姿と現状の自分を比較してしまっているから。
本当なら1時間早く起きて、シャワー浴びてご飯を済ませて出かける用意をしていたはずなのに。。。と想像して焦ってしまう。
そして自分を責める気持ちが強くて何もせずに時間が過ぎていく。
結局、昼が過ぎて夕方になって焦りの気持ちがもっと高くなるまで行動できない。
そして、本当の自分の姿とは、自分はもっと楽しい過ごし方をできるはずだという想像も存在していると思う。
本当の自分を再現してあげること。
シャワーをあびると思っているなら、真っ先にシャワーを浴びに行く。
ご飯を食べるのが本当の自分だと思っているなら、ご飯を(お店まで買いに行かないといけないとしても)食べるため行動することが必要。
でも、辛いことを何とかしようとしてよけいにつらくなってしまっている人は、
やるべきことを優先してしまっている可能性がある。
例えば、シャワーを浴びることが本来の自分なのに、日々の習慣としてシャワーの前に洗濯物を干すというやるべきことがあったときに、それも優先してやってしまっている。
この作業が、自分を落ち着かせる作業ならいいのだが、そうではなく余計に焦ってしまうのなら、思い切ってやめてしまう決断をしてみてほしい。
いったん自分のやりたいことをやってエネルギーが回復したら、やるべきことが簡単にできる。しかし最終的にやらないといけないのなら、エネルギーもゼロに戻ってしまうのではないかと思う。それはそのとおりかもしれない。やりたいことをやってエネルギーをプラスにしてからゼロに戻ってくるか、逆にエネルギーがマイナスになってあとでやりたいことでエネルギーをゼロまで回復させるかの違いでしかない。
こんなとき意識してみるといいのは、自分は幸せを感じるために生きているんだということ。
「幸せを感じるために生きている」という指標があれば、いま自分がなにをやるといいのか判断できるようになってくる。
この考え方はこちらの本に詳しい。
人の目が気になって休みの日の外出が疲れる
自分のやりたいことができていないのが、人の目が気になる原因。
自分で知らず知らずのうちに抑圧してしまっている。
人の目が気になる原因は存在しない。
ただ、自分が外出していいのか、不安になることがクセづいてしまっているだけ。
でも、その感情に理由や原因がないことがおかしいと脳が勝手に判断してしまう。そこで、他人の目線が気になるという理由を付けてしまう。
解決法はなにも考えず、特に外出したあとのことを想像せず、とりあえず家を出てみること。電車に乗ったりしてしまったら、このあとどうやって楽しもうかとアイデアが自然と出てくる。
他人の悪態が気になる
自分事に感じて不安になったり、自分までイライラしたりしてくる。
こういう言葉遣いの人なんだと思う。
受け取らず、ふーんって思う。
と簡単に言うけどできないよ、と思う。
そんなときの解決法は、「自分が好きな人と話す」です。
自分が好きだと思っている人でも、話すうちに嫌な部分も見えてきます。
そのとき、自分の中に好きな気持ち嫌いな気持ちが共存することに気づくと思います。自分の嫌だと感じる気持ちと好きな気持ちを分離するうちに、他人の悪態も受け取らないようになっていけるようになります。
不安になるときは、不安になる行動をしてしまっている
できない理由や、暗い気持ちが思い浮かぶとき
何かやろうとしたり、それこそ朝起きようとしたりするときに
なぜか眠気を優先して寝ることに決めてしまう。
でもそのときにわくわくした気持ちはなく、どちらかといえば少し不安な
もっと寝られて幸せなはずなのに、自分にとって良いことを選んだはずなのに
悪いことでもしているような不安な気持ちになってしまうことはないでしょうか。
そんな気持ちを長期的な目線で変えていく方法をお伝えしたいと思います。
多分、昔はわくわくして朝起きたりできたと思います。
それがいつしかもう少し寝ておこうに変わってしまった。
ほんとは起きたかったけど、寝ることに決めた。
本心を理性が裏切ったということがあったのだと思います。
今はそんな判断がクセになってしまっていて、そのたびに不安になることを繰り返してしまう。
例えば、いつもなら起きないようにしている場面で、試しに起きてみてください。はじめのうちは習慣にないことをする不安があると思いますが、反面、すっきりした感覚を感じる瞬間もあると思います。
そういったポジティブな感じがあれば、おそらく本来の自分にとってはその変えた行動が正しいことなんだと思います。
そして、一度で終わらせず不安になる行動をしようとしたときに、意識的に別の行動をすることで習慣は矯正できます。
自分が不安にならない考え方や行動を知って、日々繰り返してみてはいかがでしょうか。